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熊本地方裁判所 昭和37年(ワ)112号 判決

原告 森田穣

被告 国

訴訟代理人 樋口哲夫 外三名

主文

被告は原告に対し金二三二、一六〇円及びこれに対する昭和三七年三月二七日より右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを折半しその一を原告の負担としその余を被告の負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

本件農地は原告の所有にかゝるところ、訴外熊本県知事が昭和二四年七月二日自作農創設特別措置法に基き富津村農地委員会の樹立した買収計画に基き本件農地の買収処分をなしたこと、原告がこれを不服とし昭和二五年五月三一日訴外熊本県知事を被告として熊本地方裁判所に右処分を違法とし、その無効確認を求める訴を提起し右は同庁昭和二五年(行)第一八号事件として係属し、昭和二九年一月一九日右買収処分の無効を確認する原告勝訴の判決言渡があり、これに対する控訴審においても同知事の控訴は棄却せられ昭和三六年五月三日右判決が確定したことは当事者間に争いがない。

一、そこで、右無効の買収処分が、果して原告主張の公務員の過失に基くものであるかについて考えるのに、成立に争いのない甲第一号証(判決書)及び証人森田ノヱの証言によつて真正に成立したものと認められる甲第三号証の一、二及び同証人の証言及び弁論の全趣旨を綜合して判断すると原告は基準日である昭和二〇年一一月二三日当時約三町余の農地を所有していたが、終戦前朝鮮において勤務居住していたためそのすべてが小作地であつたところ、昭和二〇年一〇月初旬富津村に引揚げ右小作地のうち若干の返還を受けて自ら耕作するようになつたこと、原告はその後昭和二二年三月職をえて上京したが、農業の管理は母森田ノヱ及び弟森田範雄に委ねていたものであるのに富津村農地委員会の係員は前記買収計画樹立の手続に際して、基準日当時本件農地は不在地主の小作地に該当するものとして当然買収できると判断したため、其際原告の保有小作地の範囲を確定するために必要な現状の確認等の措置をとらなかつたこと。

しかし乍らその後原告を基準日当等の不在地主として取扱えないことが判明し、買収処分の理由を保有限度超過の小作地と変更したものゝ右買収計画においては現況農地と認定せらるべきでない公簿上山林となつている密柑栽培地約一反七畝を農地として原告保有小作地に算入していたこと、当時熊本県天草郡においては、在村地主の小作地保有限度として自作地と合せ一町六反を超えない限度で、六反歩までの保有が許されていたが、原告の保有小作地は、右密柑栽培地の部分を除外するときは総計四反二畝九歩にすぎず結局本件農地の買収処分には、その要件たる保有面積超過の事実認定上に、明らかに重大な瑕疵があつたので、原告に許容せられた小作地保有限度を一反七畝二一歩侵害する違法な結果を招くに至つたことよつて、前記の如く本件農地に対する買収処分の無効確認の判決がなされるに至つたことが認められる。

ところで、旧自作農創設特別措置法にいわゆる農地とは、必ずしもその土地の公簿上の地目の如何にかゝわりがなく、それが耕作目的に供されるものであるか否か、及び、肥培管理が行われているか否か等の現況によつて決せられるべきことは、同法第二条の規定等に照して明白である。従つて、保有面積超過を理由として小作地の買収処分を行うに際して、その衡に当るべき公務員としては、右超過の有無を定めるのに、一応公簿の地目並びに面積の記載によつて審査することはやむを得ないとしても、いやしくも右保有地中に農地と看做すに疑の存する地目等があれば、当然それについて右現況の調査をなすべき職務上の義務があつたものといわなければならない。本件において前記密柑栽培地は公簿上山林となつていたこと前記のとおりであるから、当然その際前記農地委員会や熊本県当局の係員において、これを農地として保有地中に加えることにつき疑をもつべきであつたと考えられるのに、其際、右係員らにおいて何ら現況の調査をしなかつたことは被告の自認するところである。して見れば、他に特段の事情がない限り、右係員らには、初めに原告が不在地主であると誤認していたことはしばらくおくとしても、すくなくとも何ら事実の調査をしないで密柑栽培地を農地保有面積中に加えた点に、職務上の過失があつたことを免かれない。

被告はこの点につき、当時広範な農地買収処分を急速に実施しなければならない政治情勢下に在つた関係上やむを得なかつたと抗争するけれども、保有面積を公簿上の記載によつて判断することならばともかく、公簿上山林とある如き土地をも調査をしないで直ちに農地と認定し去ることには、そのような政治状勢を考慮に入れて考えて見ても、とうてい正当な事由があつたとなすことができないし、他に、その合理的根拠につき格別の主張立証もない以上、右抗争事実のみを以て前認定を左右することはできない。

そうだとすれば、他に特段の事情がない限り、被告は右公務員の過失に基く、本件農地に対する無効な買収処分により、原告の蒙つた損害について、これを賠償すべき義務があるものといわなければならない。

二、そこで被告の消滅時効の抗弁について考えるのに、国家賠償法に基く損害賠償請求権の消滅時効については不法行為に関する民法の一般規定の適用があるけれども(同法第四条)民法第七二四条にいわゆる損害を知るとは、単に損害発生の事実を知つていたというのみでなく、加害行為が果して不法行為に基くものであるかをも、併せて知つていたことを要すると解すべきところ、凡そ、行政処分は、それが行政訴訟において判決により重大かつ明白な瑕疵を理由として無効とせられる場合であつても、それは一般私人にとつてもその瑕疵が、初めより全く存在しないと同視される程すべてが明白であり、又は、すくなくとも行政庁においてこれを争うことが、一見して不合理と認められる故とは限らない。かえつて、無効な行政処分にあつてもその瑕疵は事案により必ずしも一様でなく、むしろ、異議訴願の手続を経由する。いわゆる抗告訴訟の機会が失われたのにかゝわらず、なお、その処分の効力を存続せしめることが正義に反するので、いわば、司法手続における再審にも比すべき手続として、一旦確定した行政処分の無効を宣言せられたと目される場合もすくなくないのであるから、そのような無効の行政処分が不法行為を構成する場合においては、これを原因とする損害賠償請求権の消滅時効の起算点は、一般に、右行政処分が権限ある裁判所の確定判決により無効と宣言せられたときであるといわなければならない。

何故ならば、元々行政処分には、一般にたとえそれに違法事由があつても、一応権限ある行政庁において所定の形式手続を経て処分が行われたものである以上、その違法について究極の有権的判断が確定せられない限りそれまでの間は、なお、外形上行政処分として存在し、一般私人はこれを無視し得ないところの、いわゆる公定力を有するばかりでなく、右に述べた如き無効を宣言せられた行政処分においても、その瑕疵の重大かつ明白であることは、実際には、必ずしも当初から当事者間に知られている訳でなく、結局当該無効確認訴訟の弁論終結当時までに明らかとなつた諸事実によつて知られる、処分行為時の客観的な事情等を基準として、後日に至つて判断し確定せられるものであるから、それまでの間は、たとえ処分庁において調査に粗雑な点があり、或いは法令等の解釈上に誤があつたとしても処分庁自身がその認定の権限に基いて処分の有効性を主張している限りにおいては、やはり、一般私人としては、対等者間における権利関係の争の場合と異なり、とうてい、その行政処分を無視した取扱いに出ることが困難だといわなければならないし、従つて、そのような場合には、特段の事情がない限り行政処分の無効が確定したときに加害行為の違法を知つたとしなければならない筋合いである。

そこで、これを本件について見るのに、前段に認定した本件農地の買収の経過並びに瑕疵の実情から見ると、原告が前記の無効の買収処分による違法の権利侵害を知つたのは、やはりその無効確認の判決が確定した前示の昭和三六年五月三日であつたと認むべきである。

さすれば本件記録上明らかな本訴提起の日の昭和三七年三月一九日においては、未だ民法第七二四条所定の三年間の時効期間を経過していないことが明らかであるから、被告の前記抗弁は理由がなく、右期間満了を前提とする被告の爾余の抗弁並びに原告の再抗弁については判断を侯つまでもなく、被告は前記賠償義務を免かれることを得ない。

三、よつて原告主張の損害の点について判断をすゝめる。

(イ)  被告は原告が本件買収処分当時既に職を得て上京しており本件農地を利用して農業を経営する意思を放棄していた旨抗争するが、前顕甲第三号証の一、二及び証人森田ノヱの証言によれば、なるほど原告は昭和二二年三月職をえて上京し以来自らは本件農地を耕作していないことが認められるが、他面本件農地の所有及び使用の意思を放棄したと見るべき具体的事実はなく単に農業管理一切を母森田ノヱ及び弟森田範雄らの家族に一任していたにすぎない事情が認められるので、かゝる場合においては、たとえ原告自らがこれを耕作せずともその家族によつてその農業経営を継続しているものと認むべきであり、又他に特段の事情がない限り、前記の如き買収処分がなされなかつたならば、引続き右家族をして耕作をなさしめたものと推認するのが相当で他に被告の抗争事実を認めて右認定を左右すべき証拠がない。

(ロ)  次に、原告が本件買収処分により昭和二四年七月二日より昭和三六年五月三日まで本件農地を使用収益することができなかつたことは当事者間に争いがないから、原告は昭和二四年度より同三五年度間の米作収入を喪失したものと認むべきところ、成立に争いない甲第二号証(参考資料)同じく乙第一号証(証明書)及び証人山下留雄の証言によると本件農地中三、三五四番の田の地積は公簿面は二反二三歩であるか少くとも昭和二四年当時における実際の面積は一反八畝二六歩となつているので、結局本件農地の実延面積は合計二反二畝となるが右農地(但し右延面積より耕作不能の畦畔分が約一割存するものと認められるので該部分に相当する二畝を更に差引いた二反歩を実耕作面積とする)における水稲の各生産年度における収穫高(米及び副産物わら代金)から所要経費(種苗、肥料、農薬代、労賃、農具費、償却費、地代資本利子及び公租公課等)を控除した残額が原告の本件農地によつて受べかりし純利益であつてその各年度別の明細は別紙第二表のとおりであり、その総額は少くとも金二三二、一六〇円を下らないことが認められる。

しからば被告は原告に対し右金二三二、一六〇円及びこれに対する弁済期と認むべき買収処分の日以後であることの明らかな昭和三七年三月二七日より右支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

よって原告の本訴請求は右の限度において正当であるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松本敏男 土井俊文 松島茂敏)

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